パールの効用
人間生きていればイライラが募る日もある。
そんな日に思い出すのは、講談社の本で斎藤薫さんのエッセー、『されど”服”で人生は変わる』の中に記載されているジュエリーについての項目だ。
ゴールドな女、シルバーな女、パールな女
どうだろう。見出しからしてキャッチーだ。
そして深い。ジュエリーの色味と女を結び付けられるのか、とハッとさせられる。何の気なしに選んでいた筈のジュエリー選びの深層心理が垣間見える。どのような気質の女が、どのジュエリーを選ぶのか。またどのような色味の服と合わせると良いかの提案がなされる。或いは、ジュエリーの似合い方がイメージとどのように関わって来るのかが語られる。
しかし、私がこの本を読んだ際に何に衝撃を受けたかと言えば、ジュエリーをイメージした際にゴールド、シルバーについてはすぐにイメージ出来たものだが、そこで『パール』がジュエリーとして扱われていたことである。
その頃の私にとってはパールは、結婚式や葬式でのイメージしかなく、あまりジュエリーと言われてもピンと来なかったのである。
しかしこの本では、パールをつける女性を『たおやか』な女性と呼んで憚らない。
私はこの文章を読んだ時に恋をしてしまったのだ、こんな女性になりたい。パールの女になりたいと、そう思ってしまったのである。
怒りはパールには似合わない。
丸くて真白な球体はそれらを遠い彼方に追いやってしまう。
願わくば、パールの似合う女性でありたいものだ。