シンデレラ
何年か前に、シンデレラの実写版を映画館でみた。
そして思わず、映画館でパンフレットを購入してしまった程にお気に入りの映画になった。
ストーリー、モチーフ、配色。
なんにせよ、私にとっては至上の映画だった。
特にこの映画で思うのが、家事労働についてだ。
その頃の私は家事全般に苦手意識があり、どちらかと言えば面倒な事として考えていたような気がする。
しかし今思うのは、考え方ひとつで世界は変わるという事だ。
過去に近藤麻理恵さんの『人生がときめく片付けの魔法』(サンマーク出版)を読み、御多分にもれず片付けをした事がある。
そして幾つもの決断をして、私の部屋は綺麗サッパリ片付いた。
その時に何故か私の本棚で、とても気になる本が一冊あった。芥川龍之介の文庫本だった。何故この本にこうまで惹きつけられるのか判然としないまま、ページをめくる。
『六の宮の姫君』
なんのことはない短編小説だ。
流れるままに生き、主体性を持たずに生きて死ぬだけのおんな。極楽にも地獄にさえ行けない女の話だ。
過去に読んだ事があり、その頃は特別面白味もない小説だと思ったものだ。しかし片付けを終えた私には妙に胸に迫るような哀切な悲しみがあったように思う。
流れるように生きてきた私と、なんだか相通ずる気がして。かと言って、目標を決めて何かをする程の情熱や元気はとても持てそうになかった。
これでは六の宮の姫君と私に違いなどないではないか。
そして上手に片付かない、綺麗にしてもまたすぐに散らかる部屋を見ながら、言い知れない絶望を抱いていた。同じことの繰り返しに飽き飽きしていた。
何もない閑散とした部屋は、私のぽっかり空いてしまった心の穴のようだった。
そんな私が変わり出したのは、ドミニック・ローホーさんの『ゆたかな人生が始まる シンプルリスト』(講談社)の本と出会ったからである。
ここでは色々なリストを作り、自分に問いを投げかける。その為自分が何を求めているかが明確になる。ぼんやりと書いていた輪郭の線が、明確な正しい線を見つけるように、自分の定義が見つかっていくような気がしたものだ。
そのように模索を続けていくうちに、私の部屋は最小限の必要なものだけになり、部屋の掃除が簡単に済むようになり出した。
その頃から不思議と家事が好きになり始めたのだ。
そして面倒くさがりな私に一つの方法として良かったのはこの本の中にあった、2分間ルール。
2分で済むことは後回しにしないという事だ。これのおかげで世の中には2分で済む事が沢山ある事を知ることになった。(落としてしまったものを拾うのは2分で出来る。ゴミ捨ても2分で行ける。机周りだって2分あれば片付くのだ!)
それで私のイライラは確実に減り、代わりにできる事が着実に増えていった。
そうやって積み重ねられていく事が、私を少しづつだが、確実に変えていった。
そして、冒頭の『シンデレラ』と私は出会う。
家事をキチンと出来る女は、頭のいい女。
日々の暮らしをつくっていける、一見取るに足らない事を楽しんで送れる人こそ至高だ。
そんな事を思いながら、私は映画館を出る。
横にいた母に映画の感想を聞くとこう言った。
「午後から映画をみるなんて、こんな贅沢な時間のつかいかたするなんて久しぶりだわ」
私はその言葉を聞きながら言い知れぬ気持ちになる。
家事労働は尊い。
当たり前の事を、当たり前に行う。
それは日々の暮らしを大切にすることと等価ではなかろうか。
シンデレラの物語を読み解く上で、絢爛なシンデレラストーリーを愉しむのも悪くないが、生きる上での知恵をそこから見つけ出すのもまた乙ではなかろうか。
そしてそこから数年の時を経た私は、家事労働を前よりも愛おしく思えている。そう。人は変わるものだ。
同じまま、空っぽのままではない。
意思を持って日々の暮らしの積み重ねで、僅かづつ変わって行くものである。